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そりゃ確かにファイターズはいいチームだし、新庄もいい選手だよ。
だけど、他の選手が打席に入ってるときにベンチの新庄をいちいち写すほどの選手じゃなかろう。
最近の民放の悪癖として「特定の人間を「スター」に仕立て上げて、その選手に対して過剰な演出をしないと番組が編成できない」というのがあるような気がする。去年の日本シリーズはバレンタインだったし、最近のF1だとスーパーアグリとかミハイル・シューマッハとか(いや、見てないから知らんけど)だし、亀田ナントカもそんな感じ。*1
で、持ち上げられるだけの実力があるんだったらまだしも、持ち上げ方に対して実力が釣り合わない(今年の新庄だって、あんなに写すほどの選手じゃない)場合、結局白けさせてしまうだけなんだがそれでも止める気配は全くないようだ。
ワイドショーじゃないんだから、特定個人におんぶにだっこで番組を作るんじゃなくて、勝負そのものをきちんと伝えることができたら、それが一番面白いはずである。勝負自体が面白さの源なのだから。
それができないのは、ワイドショーのように「場をコントロールしたい」というテレビ局の欲望、あるいは「場をコントロールしないと安心できない」という強迫観念があるのではないだろうか。*2
特定個人を「選択」して「過剰な演出」を施す主体としてのテレビ局、という形でしか生き残れないのではないかという恐れがあるのではないか。
しかし、野球を見たい人は「野球の試合そのもの」が見たいのであって、「テレビ局の演出」は特には見たくないのである。「演出された試合」と「試合そのもの」が同一条件で放映されるのであれば、野球を見たい人「試合そのもの」のほうを選択するであろう。結局は過剰な演出というのは自らの首を締めているだけなのではないだろうか。
いや、ひょっとしたら「通常の視聴者」は既に「過剰な演出」がない「試合そのもの」を楽しむ能力がなくなっているのかもしれない。テレビ局が選んだ「スター」の「活躍」する「姿」を受け入れないと楽しめない人間が大多数で、そうでない人は少数派なのかもしれない。そうであってほしくはないのだが……
要するに「コンテキストスイッチはコストがかかるので、できるだけ並行に動くタスクを減らしましょう」という話。タスクスイッチってほんとに時間がかかるよね。
ソフトバンクの人気選手のユニホームを球場のロッカールームから盗んだとして、福岡県警中央署は27日、窃盗の疑いで福岡市東区青葉7丁目、アルバイト八尋忠雅容疑者(22)を逮捕した。球団の本拠地、福岡ヤフードームでボールボーイのアルバイトしながら盗みを重ねていた。容疑を認めているという。
調べでは、八尋容疑者は今年6月から8月にかけ、福岡市中央区のヤフードーム内のロッカーに忍び込み、若手で人気がある川崎宗則内野手のユニホーム1着(3万円相当)を盗んだ疑い。
盗んだユニホームをインターネットのオークションに出品。100万円で落札されたという。自宅からはユニホームや野球用具47点が見つかり、同署が余罪として調べている。
出したのはヤフオク? だったらかえって落札者も気がつかなかったのかもね。
なんかすごくイヤなモノを想像してしまったorz
オレ流の落合監督が日本シリーズに臨み、先手を取った。
勝利だけを追及してきた生き方は、昨日も踏襲された。
なんか、まるで勝ちを追求したらいけないような言われ方だな。
チームの選手やスタッフには、ほとんど批判なく、ほめる一方。
負けはすべて「オレの責任」・・・と言うと一見「男気」(おとこぎ)に聞えるけれど、選手の道徳的人格への配慮がないし、自分ひとりカッコつけすぎ。選手は、駒ですか?
勝ったときには「選手のおかげ」と言ってるわけで、選手の道徳的人格への配慮がない
としたらそんなことは言わないのではないかと思いますが。
オレ流の陰で泣くのは、まずスポーツ新聞をはじめとするマスコミ関係の記者だ。落合監督の記者イジメは、有名な話で、記者たちの知識のなさを容赦なく批判する。
うーん、取材対象に対する知識がなきゃ批判されても仕方がないよなぁ。
ヒーローインタビューなんか、「実は観客から質問を公募したほうがいいんじゃないの?」って思うような質問しかしないことが多いし
またその最大の理由は、実は、次の言葉に、象徴されている。
「選手を使う」
他の監督も使用することはあるが、落合監督は、自分の監督哲学にこの言葉を最重要キーワードとみなしている。勝利のためには「人を道具」と見なしている。
「これで使える選手と、使えない選手がはっきりした。悪い者は切る。いい者は上げる」
選手は駒として扱う。勝つためには、当然だ。そのどこが悪いのか。勝つために不必要と判断した者は、迷わず排除する姿勢を貫くのだ。
プロ野球の世界では同時に出場できる人数は非常に限定されています。結果を出す能力がないのに、結果を出せる人間を差し置いて出場することを許容していては勝てません。プロ野球という場では、そうされることは仕方のないことなのです。
しかもその言葉は、一年間選手の入れ替えを保留して、実力を見極めた上での言葉ですよ。逆にいうとその前の年は「悪い者は切る」ことはしていないのです。他の球団は当然のように「悪い者は切る」ことをしていた中で。
「選手は道具」であるから、責任をとらせられない。「責任は自分一人で背負う」というようなゴウマンな言葉が口から出るのももっともだ。
「出場したら、その時に自分にできる最高のプレーを行う」ところまでが選手の責任で、「勝敗」に対する責任を負えるのは監督だけなんじゃないですかね。
負えない責任を無理に選手に負わせることをしない、というだけのことだと思います。
10月15日、横浜の監督業にピリオドを打った牛島監督に、落合監督は花束を贈り、
「また現場に戻って来いよ」
という一見温かい、じつはデリカシーに欠ける言葉を添えた。
落合さんとの1対4トレードでロッテに移籍した牛島さんに そう言ったからには、当然、来年のスタッフ構想に入っているはず。 球場との惜別の日、牛島さんに贈る言葉としては、 そこまで考えないと使えない言葉。 日ごろからリップサービスをしない落合監督だから、 これはリップサービスではないだろう。
ノリで言わないでほしい
牛島監督ほどの能力があるなら、今のドラゴンズではなくても何処でも「現場」に戻れる。そう確信しているからこその言葉だとは考えられないのでしょうかね。なんでそんなにひねた見方をわざわざするんでしょうかねぇ。
woodsさんの指摘にはものすごく同意する。